災害時のトイレは、こうしよう!(3−最終)

災害時のトイレは、こうしよう!(第三部)

■パネルディスカッション(3−最終)

(司会)ここからは、菊池正浩さんに蕨市のトイレの現状について、ご紹介して頂きます。

(菊池さん)これまで、各先生方がいろいろとお話くださいましたので、前段は省きます。
お配りしてある冊子の11,12ページに記載してありますが、2005年10月4〜5日の二日間、「第一回災害・海のトイレフォーラム」が宮城県気仙沼市で開催されました。テーマは、「地震と津波と災害時トイレを考える」でした。私も参加しました。気仙沼の災害対策が進んでいるという面では、実はこのフォーラムで市民レベルの防災計画や学校トイレの整備等について熱心に討議されました。まさか、わずか5年ちょっとでこの度の3.11が起こるなんて想像だにしないで開催されたのです。
このことに私は、非常に印象深いものを感じています。

さて、ここで蕨市の現状について、おさらいをしてみましょう。
(1)蕨市の人口は、72,331人(男36,708人 女35,623人) 35、985世帯
(2)うち要援護者16,597人(後期高齢者45.3% 外国籍人22.7%  乳幼児17% 要介護+認定者15%)
 外国籍人は、61カ国でそのうち「ワラビスタン」と呼ばれている人たちが5〜600人。
※課題:ワラビスタン(難民クルド人)は蕨駅半径1Km以内に在住、増加傾向にある。

(3)市内避難所のトイレ事情
コミニュティCT、公民館 127(男子49   女子 65 多目的13)洋式化57.5%  小便器65
学校(12校)     874(男子311 女子540 多目的23)洋式化39.1%  小便器538
広場、公園       17(男子 8  女子 7  多目的 2)洋式化23.5% 小便器12
福祉避難所     148(男子36  女子 25 多目的87)洋式化74.3%  小便器21
●学校は校舎などを含む全体、体育館周辺と職員用だけでは150となる。
●福祉避難所は個室や風呂にトイレが設置されているので、他の避難所と比較できない。
※課題:トイレの数が多いのか、少ないのか、また、洋式トイレは少ない。

(4)その他避難所ではない公共施設のトイレ事情
警察署、消防本部、市立図書館、商工会議所、水道部、市立病院、歴史民俗資料館、JR蕨駅などトイレ数は避難所とあまり変らない。
(5)その他
.肇ぅ譴凌
○小規模な公園の公衆トイレ・・・約26(男女共用23 多目的3)洋式3 小便器21
○駅西口の公衆トイレ・・・・・・・8(男子3 女子5)和式6 洋式2 小便器4
 2階なので、要援護者は利用が困難 介助者が必要
○交番:市内4カ所・・・・・・(男女共用4)

(6)蕨市の水道事業
|浪漆紂ΑΑ深さ200m以上から9本の井戸で汲み上げる。次亜塩素酸ソーダで消毒し中央浄水場と塚越浄水場へ集められる。
県水・・・荒川の秋ケ瀬にある取水堰から県営大久保浄水場へ取り入れられ、消毒後蕨市の浄水場へ送られる。
C水・・・中央浄水場7,860㎥ 塚越浄水場10,760㎥
      貯水場 北町保健センター 錦町スポーツ広場 中央東小学校 蕨市民公園 三和公園 各100㎥ 他各学校に貯水タンク

※蕨市人口のおよそ2日分の水が、貯水されているということです。

【3】蕨市の下水道事業
下水道整備率・・・92.6% 埼玉県平均77.9%  県内66市町村中第4位 全国47都道府県中第11位
中央、北部、南部の汚水、雨水は南町ポンプ場。東部は塚越ポンプ場を経て南町ポンプ場へ送られてから、荒川左岸下水道公社の終末処理場へ送られる。合流式は最近の大雨だと一部が川に放流されてしまう。
(高速濾過は、55ミリから60ミリを想定、100ミリは想定外)
錦町は汚水、雨水の分流式で汚水は終末処理場、雨水は上戸田川へと放流される。浄化槽処理の汚水は川に流される。(終末処理場に行かない)

埼玉県8流域のうち荒川左岸南部流域下水道は、さいたま市、川口市、上尾市、戸田市、蕨市。終末処理場とは戸田市笹目にある埼玉県荒川左岸で水道公社(荒川水環境センター)
さて、以上のデータから考えて、課題を5つ上げてみました。
規模と季節や発生時刻によって対応が異なりますが、想定外の複合災害、夜間に大雨、台風時に大地震が発生、堤防決壊による洪水、液状化、家屋倒壊、火災発生となって避難する場合、避難所だけでは不足、ましてトイレが不足していることは明らかです。

※課題:下水道の整備率は高いが、耐震化率は10%未満で低い。

〈1〉自助・共助について町会を中心に初期対応が大切
町会のリーダーが年々高齢化し、かつ取り組みに温度差があり、「うちの町会は備蓄や訓練もしているので必要ない」という町会もあります。働き手は昼間都内などへ通勤し、災害時には帰宅困難者となって帰れないようになります。(東京都は、2〜3日留まるように対策を立てている。)いかにして、5〜14歳(5,076人)15〜19歳(4,210人)計9,286人の小・中・高校生という青少年の育成をしていくかが課題です。(東京都教育委員会では、中・高校生などを対象に避難所生活の体験学習を実施、横須賀市などはマンションを中心に中学・高校生によるレスキュー隊を組織など)

◇水野確保では、貯水槽の鍵などの問題
中央、塚越の浄水場にある鍵を誰が一走りして取りに行くか?(車が使えない)
使用方法などの技術継承を誰が、どれだけの人が覚えておくのか?

◇蕨市下水道BCP(Business Continuity Plan 平成26年3月制定)業務継続計画
下水道が市民生活にとって重要なライフラインの一つであり、その機能の維持または早期回復が必要不可欠でsることを踏まえ策定された。優先実施7項目のうち、下水道対策本部を立上げ、下水道施設の緊急点検を実施。目標1日以内に点検、もしくは業者を使っても2〜3日で調査。

※この間は水洗トイレが使えない。初期対応を誰が広報し、皆が使わないようにするか、備蓄の携帯トイレなどで対応する。(マンションの上階で使ったら下の階で溢れる)

〈2〉マンション自治会と町会とのコミュニケーション、連携強化
高層マンションが増えています。耐震化建築なので倒壊は予想していません。だから町会とは別にマンション自治会だけで備蓄、対策をしているので町会にはは言っているが積極的には参加しない傾向があります。
しかし、水、電気、下水道が止まった時はマンションが大変なのです。給水車はマンションではなく公園や避難所です。支援物資の配給や炊き出しなどもしかりです。その時だけ行列にならび、またマンションに帰って行くのです。どういう感情になるのでしょうか?
逆に、洪水時などはマンションの通路でも避難させてもらわなければなりません。また、普段会費も払わず、町会に入らない人も同様です。このような人に限って災害時には助けなくてはならないケースがあります。(マンションの電気機械は、地下室が多い。洪水時の対策が必要)

○北町1丁目に建設中のルネ蕨ガーデンシティ164世帯の動向を注目したいと思います。蕨市と建設業者で官民連携による新複合開発が進められています。
防災対策として
“鷯鑞儖料水生成システム 非常用マンホールトイレ かまどスツール(炊き出しなど)
などの3点セットを設置するというものです。完成後、北町町会との連携も考えているようです。

本日のフォーラムには、駅前高層マンションや西口駅前再開発事業の方々も参加されておりますことは、誠に心強く思います。

〈3〉要援護者の把握、支援体制(含む外国籍人)
災害救助法は南海地震を契機に昭和22年に制定。昭和36年の伊勢湾台風後、災害対策基本法を制定。そして、現在の改正災害対策基本法になり、要援護者についても初めて明記されました。
「洋式トイレなど要配慮者にも配慮した施設、設備に努める」
阪神・淡路大震災でのアンケートでは、障害者が一番困ったことはトイレであった。そして、個人情報保護法によって縛られていた把握問題も条件にもよるが可能となり、これにより平素から支援体制ができるようになった。

現在、市では「避難行動要支援者」対策の検討をしています。ではどうしたら町会ベースで把握し実際の支援をしたらよいか。
住宅地図などで把握しておくが、実際には5〜6世帯の班編成で把握、共助体制を考えてみるのも一つの方法ではないか。町会長や自主防災会が全体を把握しても実際には支援でききれません。

○言葉の通じない外国人対策
―个るだけ住居の把握(家主、窓口となった不動産業者、住民登録の市民課の連携)と水洗トイレ使用可否の説明。
避難所での説明(パンフ作成)

〈4〉避難所、公園などのし尿処理、可燃ゴミ集積場所の取決め
施設のトイレは、管理者がいるので対応できます。公園や公衆トイレは一体誰が初期対応するのでしょう?
平時の管理は、市の道路公園課などですが、清掃は業者に委託し週2回清掃がされています。災害時に全部の公園トイレをいち早く閉鎖するなどの作業はできません。当然、町会の誰かがやらなければなりません。水が流せない、下水道が使えないのに、使えるようにしてあると悲惨な結果になります。
結局、初期対応を怠ると自分たちに跳ね返って来ます。

また、オムツ(幼児用、大人用)、携帯トイレ、生理用品、ビニール袋を大袋にまとめ、可燃ゴミとして出す場所も決めておくことです。使用方法がまずいとビニール袋に穴があき、環境悪化になります。
ゴミ収集車や焼却場(衛生センター)の復旧具合によっては、中長期間積んでおかなければならない。
いざという時は、公園、空き地、グラウンドなどに穴を掘ってポットントイレを作るので、この場所決めも大切です。
マンホールトイレができるのは、塚越の蕨市民公園だけで、他にはできない。

〈5〉帰宅困難者対策
東日本大震災の経験から、東京都では2〜3日程度職場などに留まる対策を打ち出していることは、前に述べました。
蕨市でも沖電気、第日本印刷、リンテック、ツツミなどの大手事業所は同様の対策が必要かもしれません。先般の防災訓練では、JR蕨駅長さんが自ら帰宅困難者を旭町公民館「くるる」へ誘導したりされていましたが、帰宅困難者問題も大変です。
駅では災害時トイレの対策をされていますが、駅前の公衆トイレは多分閉鎖することになるでしょう。平時にはシルバー人材センターさんが管理していますが、災害時誰が対応するのでしょうか。

蕨市の職員は620人ですが、ほとんどが市外からの通勤者です。市内在住は135人です。但し、都内とは異なり隣接のさいたま市、川口市、戸田市に366人でこれらを含むと501人(80.8%)となります。しかし、夜間に災害が発生したら、公助はすぐには期待できず、町会を主体とした自助・共助が決めてになります。
この他、仮設トイレなどで起きる性犯罪、窃盗などに対する防犯パトロール隊の組織、避難所に連れていけないペット対策とし尿処理などの問題もあります。

以上私なりにきわめて大雑把に取材結果を発表いたしました。
災害の規模、発生時刻などにより対応が異なりますが、公助である市の対策も安全安心推進課、水道部、下水道課、道路公園課、教育委員会、健康福祉部などを中心にそれぞれ頑張っております。
しかし、何分少人数であり、例え業者に委託しても、業者事態が被災者になります。
従って、自宅であろうと避難所であろうと、最低3〜7日は自助・共助により対応しなければなりません。特に水洗トイレの使用について初期対応が重要になります。

要約すると
第一に飲料水にトイレ対策で、排泄場所と方法の取り決め、第二に若干の食料、第三に衛生管理、感染症、エコノミークラス症候群などのたいさくによる関連死の防止。
主としてこの三点を推進する体制です。

※この体制づくりは、高齢者には無理です。
例えば、貯水槽の鍵を浄水場に誰が取りに行くのか。若者が何人かで行くしか方法はありません。こうしたことを含め青少年の防災教育の推進はとても大切なことと思っています。

推進するのは、今日ここにお集まりの方々が中心となって自助・共助の地域防災力アップになるよう地道な活動をする事だと思います。ということで私からは、以上です。

(司会)菊池さんありがとうございました。
蕨市の抱えている大変な問題をお話して頂きました。これについて、ご意見・ご感想などをお願い致します。

(秋冨さん)マンションで水洗トイレが使えない事態の大変さには、困りましたね。上階からの汚物が下の階で溢れるなど思ってもみませんでした。悪くすると感染症の心配も起こりますので、行政も含めてこの対応を講じて貰いたいと思います。
また、避難所のトイレの設置の仕方ですが、「性犯罪防止」の面からすると「男性用」と「女性用」とは、場所を分ける事が大切です。私の場合は「防犯ブザー」を持ってもらいました。それもご高齢の方の「安心」のため、という意味合いで誰もが持ちやすい意識で「安心ブザー」として女性の方に配布しました。

被災地支援で、慶応大学の女子学生さん達が「防災ガール」ということで、小・中・高校生対象の防災教育の支援をやっておられます。このように、今後は若者や大学生にどう活躍してもらうかを考えて行く事が重要なポイントだと思います。

(伊東さん)気仙沼市が、震災2ヵ月前にある無謀な約束をしたのです。それは、市の開いた公聴会で市の防災危機管理課が次のように発言したのです。非常時には、「学校はじめ公民館等に避難所が開設されます。その運営は市の職員が行います。」と。私は、当時、市の職員の立場でしたから「何で、できないことを約束するのか」と、不思議に思っていました。
突然、東日本大震災が午後2時46分に起きました。し職員は通常役所で働いています。案の定、発災と同時に避難所に駆けつけることができません。結局、避難所運営は誰が行ったかといえば、学校の避難所(体育館)は教員が行い、地区の避難所は地区の方が運営されました。

そこで、皆さんのご家庭での「トイレ」の備蓄について考えて頂きたいことと、地域の避難所に何が備蓄されているのか、或いは学校と普段どんな連携ができているのか。おそらく学校のどこに、何があるのか、皆さんご存じないでしょう。
例えば、夜震災が起こったとしましょう。
窓ガラスを割って、学校に入ったとしても「備蓄」のものがどこに置いてあるのか、わからないでしょう。ですから、地域の役員等の立場の人は、普段から地域のなかで「学校」「行政」との連携を取っておいて頂きたいのです。意外と学校から地域には言い出しにくい面があるので、地域の皆さんから学校に言って貰った方が話が早いと思います。

(司会)例えば、学校見学会などされると良いと思います。貴重なお話をありがとうございました。
ここからは、会場の皆さんからご質問・ご意見ご感想などを頂きたいと思います。

(さいたま市の男性)高校時代に蕨に住んでいた者です。お尋ねします。
例えば、1000人の避難所において、いくつ「トイレ」があればいいのでしょうか。但し、トイレの種類にはこだわりません。某市では、今でも100人にトイレ1個の計画と聞きます。さいたま市も同じです。ところが埼玉県は、別な基準となっているらしいのです。いろいろあるようですが、要は何人に対しトイレ何個の基準が望ましいのでしょうか。

(司会)大変難しくてするどいご質問ありがとうございます。
先ず、日本には「トイレは、何人に1個あるべきだ」という基準はありません。但し、阪神・淡路大震災の時の実績が非常に有力視されています。それによりますと、「65人にトイレ1個」とか「75人トイレ1個」の割合で、当時の「トイレ問題」のクレームがなくなった、という事実があります。だから、こうしなさい、とは言われておりません。

一方で、国際的には「スフィア プロジェクト」という基準があります。これは、難民キャンプ等に適用されている基準です。
それによりますと、一時避難所で「50人に対しトイレは1個」とされている。かつ女性は、この3倍を用意すること、となっています。
ということで、一つの目安として、発災直後は仮設トイレに限らずいろいろなタイプのトイレを計算して50人に1個を目指す。次の段階では、トイレは速やかに20人に1個程度を目標とする、ことを日本トイレ研究所では考えております。

(質問者)参考になりました、ありがとうございました。

(菊池さん)このことからも、私が先程お話した蕨市のトイレの数は少ないことがお分かり頂けたと思います。
今の50人に1個という計算では、蕨の北小学校に避難者が500人とすると、トイレは10個必要です。現状では、不足です。理想としては、20人に1個という事です。

(司会)加藤裕之さん、今のトイレの数のお話で「下水道管理」のお立場から、ご意見など如何でしょうか。

(加藤さん)下水管のところでお話しましたように、下水管の耐震化を進める上で優先順位があろうかと思います。震災時は皆さんが避難所にお集まりになりますから、先ず、避難所の下水管のつまり防止に対処するため「下水管のネットワーク」個所について最低限耐震化をしっかりと済ませておく、そしてトイレ個数も十分ある、という状態にしておく、という優先順位を考えた進め方が大切と思います。

(司会)ありがとうございます。すごく重要なコメントで、トイレの数も重要ですが「水」と「トイレ」つまり「インとアウトをセットで行わなければ成り立たない」ということがよくわかりました。
ほかに、どなたかございませんか。

(蕨市内の男性)パネリストの皆さんの有意義なお話、ありがとうございました。
実は私は、見えない「下水道」のことを皆さんにしっかりと理解して頂いて、また、災害時でも使えるトイレという面で、いろいろと多くの人に知って頂きたい、と思い活動をしています。
そこで、先ず「下水道の耐震化」について重要な施設である学校・避難所等下水処理場まで繋がっている管路を重点的に整備するということは、かなり重要なお話として伺っておりました。

そこで、会場の皆さんにご質問いたします。
普段、家庭でお風呂、トイレ、台所でお水を使われます。これらの水のほとんどは「汚水」として流れ、下水管を通して処理場に行きそこで処理されます。そのために下水道の料金をお支払いになっています。
そこで、質問です。一人一日下水道料金としていくらお支払いになっているか想像して、挙手してください。
^貎涌貽:50円以下と思う人・・・挙手は4割くらい。
一人一日:50〜100円未満・・・挙手は同じ4割くらい。
0貎涌貽:100円以上 ・・・少ない。

(解説:下水道料金の計算方法)
蕨市は、2カ月に一度請求がきます。「水道」と「下水道」の内訳から下水道分を2で割って月額料金を出します。それを30日で割って、次に家族人数で割りますと一人当たり大体13〜15円ぐらいしか払っていないのです。これを高いと思うか、安いと思うか。耐震化のためにはいくらぐらい迄負担していいよ。というところまで想いを馳せてお考え頂けたらありがたいと思います。・・・ということでご協力ありがとうございました。

(司会)ありがとうございます。
安いですね、蕨市は。13円だと1日7回トイレに行くとして、皆さんのうんちは1回2円程度ということです。それで、「災害時、何とかして・・・」と言うのは、もう少し払った方がいいような気もしますが・・・。

さて、今回、蕨ロータリークラブとして、フォーラムの企画で重要なことがありました。
蕨として、「共助」として発信してほしい。それも一番助け合わなければならないトイレから「蕨トイレアクション」として案を作成しました。お手元の資料「蕨トイレアクション(案)」をご覧いただき皆さんのご意見をいただきながら、これでよろしいとなれば、蕨市から発信して行きたいと思います。

そして、その前に蕨市の「地域防災計画」があります。その上には、埼玉県の「地域防災計画」があります。県では、「埼玉県震災対策行動計画素案」が発表されております。現在、パブリックコメント募集中です。何と、この中には「トイレ」がありません。締め切りは11月19日です。「公助」に対しても応援して行きたいと思います。
そこで、提案します。
蕨トイレアクション
蕨トイレアクション(案)
1.避難所のトイレを調べよう
2.災害時要援護者(要配慮者)を把握しよう
3.トイレリーダーを決めよう
4.水洗トイレを使ってよいか確認しよう
5.防災トイレ訓練をしよう

この案について、先ず、会場の皆さんのご意見等をお聞かせ願いたいと思います。
会場からは・・・特にないようですね。

次は、パネリストの皆さんからそれぞれにお聞かせ願いたいと思います。

(加藤さん)非常に意欲的で素晴らしいアクションプランかと思います。
私の立場は、インフラということになりますので、あえて言えば「トイレの先を見よう」ということを付け加えて頂けたらと思います。^燭い廊イ涼罎砲任發茲蹐靴いと思います。

(司会)ありがとうございます。「トイレの先を見よう」ですね。承知しました。次は、秋冨さんお願い致します。

(秋冨さん)避難所でもトイレについては、ある程度分かっているのでクラウドやリンクみたいなもので、クリックしたら自分の避難所のトイレがいくつあるかなど分かるように、あと、「チェックシート(仕様書)」とか用意されておれば防災トイレ訓練とかで使用し易いのでは、と感じました。

被災地で学校の先生は、そこの管理者ではないのに管理者にさせられてボロボロになるまで働かされているのを見た時に、あと
病院のスタッフ、そして、行政の方々もほんとうにボロボロになって頑張っています。
彼らだって、被災者なのです。自分の家族がどうなっているのか分からない、家がどうなっているのか分からない状況の中で、被災者でありながら支援者であり続けることは・・・非常に大変なことです。
そう言ったことも含めて、住民一体となったローテーションで支援するという形を考えるべきだと思います。

蕨市は自分たちのまちの周囲だけではなく、首都直下地震があれば東京都の人たちを何万人と受け入れざるを得ないかも知れません。そう言ったことも含めて総合的に一言でもいいから組み込んで頂けたらと、思いました。

(伊東さん)私は、恥ずかしながら本日初めて蕨市に参りました。
東京には、たまに行っていましたがここは通過しておりました。正直言って何でこの「災害時トイレ」のフォーラムを蕨市でやるのか、司会の加藤さんからお電話を頂いた時にはよく分からなかったです。

加藤さんとは、ある時私の講演を聞きに来て頂いて、また、気仙沼でも活動されており存じ上げていましたが「なぜ、蕨で」との思いがありました。が今日来て私が一番勉強になったのです。その意味が分かりました。
日本人は、何でも「一番」というのは注目を引きます。その面からしますと蕨は「日本で一番小さな市である」「人口密度の一番高い市である」。しかも緑や田・畑がほとんど無い、だからこそ災害時一番切実な問題である「トイレ」について蕨市が言うからこそ発信力があるし、意味があるのだと思います。

皆さんが言われるからこそ、この問題は切実であって他の市町村に対しても説得力があるのだと思っています。
教員という立場から言えばニ漂匐軌蕁淵肇ぅ豬盈)のところを頑張ってください、といいたい所ですけど蕨市民だというところをぜひ、出してほしいと思います。皆さん誇りを持って頂いて、かつ、責任があると思って頂きたいと思うのです。
蕨市の皆さんは、この問題を全国に発信する義務(ごめんなさいね)というか、皆さんにしかできないことがあると思います。
ぜひ、頑張ってください。

(司会)ありがとうございました。

(菊池さん)先生方、ありがとうございました。
「何で、蕨か」と、言われますと、実は、20数年来トイレ研究所とお付き合いして、私もトイレ研究所のメンバーです。
そんなことで、いろいろ蕨市の現状を見て回った結果、ぜひ、これはやらなければいけないと、強く思ったのです。
そして、今日のフォーラムで終わりではないのです。これが、スタートだと思っています。先程、会場より「汚水」のお話をして頂いた方のように強い味方が蕨にはおられます。私は、この問題について今日がスタートでこれから日本で有数の「災害時のトイレに強い市」を目指して皆さんで頑張って頂きたいと思って開催致しました。ありがとうございました。

(司会)菊池さん、ありがとうございました。
それでは、最後に会場の皆さんにお聞きします。今、何度か付け加えるべき言葉をお聞きしました、概ね、一番切実な蕨だからこそ、蕨の責任として「蕨トイレアクション」を宣言します。ということでよろしければ拍手でお願い致します。

会場いっぱいの大きな拍手・・・これで、承認されました。

ありがとうございます。
加藤裕之さん、秋冨慎司さん、伊東毅浩さんは、これまで蕨を通過されていましたが、今後は、かなり気にかけて見ていただけると思います。いざ、と言う時には蕨に支援に来てくれると思います。
と、いうことでパネルディスカッションをここまでとします。皆さん、ご協力ありがとうございました。
これにて、パネルディスカッションを終わります。

◆防災マップの贈呈
蕨ロータリークラブより蕨市全町会(37か所)あてに住宅地図が贈呈されました。
菊池会長より、これの配布趣旨についてご説明がありました。
私が、阪神・淡路大震災、新潟県中越地震、東日本大震災にボランティアで入った時、最終的に被災地において必要なものが「住宅地図」でした。
というのは、「災害救助法」ができて「災害対策基本法」ができ、「改正災害対策基本法」に至り、やっと今日「要援護者」が把握できるような段階に来ました。

災害対策基本法等の一部改正
第八条(略)
2 国及び地方公共団体は、災害の発生を予防し、又は災害の拡大を防止するため、特に次に掲げる事項の実施に努めなければならない。
十四 被災者の心身の健康の確保、居住の場所の確保その他被災者の保護に関する事項

◇これまでは、「個人情報」の壁のため非常に難しかった。
従いまして、各町会におかれましては、「要援護者」の把握について日頃自治会の集会などで「ここは助けに行かなくてはならない先だ」「ここは、寝たきりの方が居られる先だ」というようなマップとして使って頂きたいのです。

この度の震災で、福島県の自衛隊の給水車(九州の宮崎県の支援車)に周辺の避難者がポリタンクを持って水を貰いに見えますが、いわゆる健常者だけが水を取りに来られているのです。要援護者は家から出られないから給水が受けられません。
そのことが、震災関連死の要因にもなりかねません。生き延びるということが出来ないような、そう言う事を避けるためにも各町会では、要援護者の把握マップをこの住宅地図で作成して頂きたいのです。縮尺1000分の一で、表面をコーテイングしていますので長く使用できますので有効に使って頂きたいと思います。
各町会の代表者の方は、市の安全安心課に置いてありますので貰いに行ってください。よろしくお願い致します。以上です。

※ここまで、お読み頂きありがとうございました。
 以上で、3部構成の全てとなります。     (完)

※参考までに
3部構成として、下記の内容で掲載しております。
◎第一部 講演1.を(1−1)と(1−2)に分けて掲載しています。
「市民防災力を高めるための情報伝達力、コミュニケーション力、想像力」
講演者:秋冨慎司氏

◎第二部 講演2.を(2−1)と(2−2)に分けて掲載しています。
「避難所運営を通して学んだ『村づくり』という方法
講演者:伊東毅浩氏

◎第三部 パネルディスカッションを(3−1)と(3−2)に分けて掲載しています。
◇トイレ確保、それは、下水道が電車の振替輸送に学ぶこと。
◇蕨市のトイレ現状と課題を考え、「蕨トイレアクション」を全国へ発信。
                                   以上




















































 









 

災害時のトイレは、こうしよう!(第三部)

災害時のトイレは、こうしよう!(第三部)

ここで、司会:加藤 篤さんより 報告がありました。

実は、当初、このパネリストに参加予定でありました黒田裕子さん(NPO法人阪神高齢者・障害者支援ネットワーク 理事長)が9月24日がんでお亡くなりになられました。
黒田さんは、阪神・淡路大震災以降、被災者に寄り添うケア活動を実践され、被災現場に黒田さんあり、と言われた方でした。東日本大震災では、震災の翌日から被災地に入りケア活動をされ、気仙沼市面瀬中学校の仮設住宅では、住み込み同然の見守り活動をされてきました。
私が、黒田さんから最後にお聞きした言葉をメッセージとして、お届けさせて頂きます。災害時のトイレ支援は、表面ではなく本質的な部分を見るべきです。そして、何度も繰り返された言葉に「トイレは、体の一部です。人間不在にしてはいけません。・・・」と話されておりました。
慎んで黒田裕子さんのご冥福をお祈りさせて頂きます。

■パネルディスカッション(3−1)

(項目概要)
(3−1):避難所のトイレ問題、仮設トイレは期待されていますが、学校にはいつも先生・職員がいるの、
蕨市の下水道普及率は、トイレと下水道管理、下水道管の耐震化率、トイレの所管先は、マンホールトイレ、下水管の復旧スピード、仙台市南蒲生浄化センター被害と壊す勇気、

(3−最終):蕨市のトイレ実態、蕨市の避難所トイレ、蕨市の水道事業、青少年の防災教育、マンションと町会の連携、災害時のマンションのトイレ、要援護者対策、外国籍人対策、ワラビスタンの増加、帰宅困難者の対策
学校(避難所)の鍵は誰が、避難者1000人にトイレはいくつ、下水道料金は一人月額いくら、蕨市から「蕨トイレアクション(案)」の発信・・・など。
パネルD

■パネルディスカッション
(司会:加藤 篤)さて、テーマであります「災害時トイレどうしよう!」を受けて、蕨市では「災害時のトイレは、こうしよう!」という視点で、これからパネリストの皆さんに話し合いをして頂きます。

コーディネーター    加藤 篤   (NPO法人日本トイレ研究所代表理事)
パネリスト       秋冨慎司 (岩手医科大学付属病院 岩手県高度救命救急センター/医師)
            伊東毅浩 (宮城県塩竃市立浦戸中学校教頭)
            加藤裕之 (国土交通省水管理・国土保全局下水道部流域管理官)
            菊池正浩 (フリーライター、旅ジャーナリスト)

司会と菊池

パネリスト

(司会)はじめに、私の方から問題提起させて頂きます。
黒田さんが生前、「トイレの確保は、いのちを守ることであり、人間の尊厳を守ることである。」と話しておられました。

(1)避難所のトイレ問題
避難所は、大勢の避難者でいっぱいです。さて、「トイレ」の状態はどうでしょう。
地震で電気・水道が止まり「水洗トイレ」が使用できなくなりました。
普段は、当り前であったトイレが使えなくなったら、うんちは流れていきません。残ったうんちを見て、次の人は、「じゃ〜、私、我慢するは」とは、なりません。二人目がする。三人目がする。どんどん溜る。そうすると、次は床にしてしまう。そのうち、床がいっぱいになる。そうなると、今度は洗面器にもしてしまう。そうせざるを得ないのが、トイレ問題なのです。

東日本大震災での、ある地区のトイレの貼り紙です。「大便は、トレーに紙を敷いてして、紙のまま汚物入れに捨ててください。必ず守ること。守らない者は、使用するな!」・・・と、いかに大変であるかということです。

(2)仮設トイレは期待されますが、使い勝手はどうなのでしょうか。
多くは、「和式」で工事現場用に造られたものです。工事現場で働く人たちは、もともと足腰が強く元気な人たちです。避難所生活者は、どうでしょうか。中には要援護者の人もおられます。段差は危ない、和式はつらい・・・使いづらくて、トイレが無いに等しい、と言う声を多く聞かされました。

19年前、阪神・淡路大震災で避難所でアンケートしたら、一番困った問題は「トイレ」と、多くの方が答えておられました。

東日本大震災で文部科学省が調査した資料によると、問題となった施設・設備は、やはり「トイレ」ということでした。
‥貽本大震災で問題となった施設・設備
トイレは2

(司会)これだけ、長い間困って来た「災害時のトイレ問題」、もうそろそろ何とか変えたいですね。という角度からのお話を皆さんと一緒にして行きたいと思っています。

スライドをご覧いただき、皆さんにお聞きします。
(3)地震が起きた時、避難所(体育館)に学校の先生がいると思われますか。そして、避難したら校長先生が門を開けてくれたり、体育館の鍵を開けてくれたり、こっちが教室で、と校内を案内してくれそうですか。果たして調査結果はどうでしょうか。
ヽ惺擦某Πがいるのは22%
学校の職員は

学校に先生(職員)がいる割合は、2割りだそうです。あとの8割は誰もいないのです。
災害時に「誰が門の鍵を開けるのか」「誰が体育館の鍵を開けるのか」「避難所運営は誰が行うのか」・・・ということが「トイレ問題」を含めてこれからの話の本質の「キィー」になると考えています。

ここからは、パネリストの皆さんに、お話しに入って頂きます。
【1】蕨市は、下水道普及率9割以上でほぼ100%です。
さて、災害時にここの下水道は、どうなるでしょうか。どういう風に復旧されて行くのでしょうか。
先ずは、ご専門の加藤さん(東日本大震災で下水道管理の最前線でご活躍された方です。)にお話して頂きたいと思います。

(加藤裕之さん)
(1)先ず、トイレの先には「下水管」があります。
3.11の翌日から、現地入りし2ヶ月間対応しました。
〆能蕕法∩換颪亮治体から関係者が仙台に駆けつけたことです。
南蒲生浄化CT

仙台市の南蒲生浄化センター(4階建)、海岸べりに位置している。津波の直撃を受けて甚大な被害を被った。津波の高さはおよそ、4階近くの高さがありました。職員は100人いますが、無事でした。災害史上に残る被害でした。(被害金額はおよそ400億円といわれています。)

全国の自治体は、被害のあった先に応援に駆け付けるルールがあります。一種の文化ですね。当時で延べ約7千人集まりました。過去に被害を受けた経験のある自治体がリーダーとなって駆けつけます。

下水管調査とは
各家庭を回りマンホールを開いて、全ての汚水の下水管を点検することです。

私の役割としては、各職員の名簿作り、パソコンの配置、食料、ガソリン・・・等の調達分野を統括しました。特に広域災害では、エネルギー(ガソリン等)途絶えますから、調達で雪の降る中を相当苦労しました。

ぁ峅漆綟惨浜」とは
まちの中の下水(汚水)を処理して川とか海に早く出すことです。そのために、「下水管のネットワーク」をつくることが最初の仕事になります。下水管が壊れる割合は、下水管延長のおよそ5%といわれています。

ゲ召法∀六圓被災した場合は、蕨市の職員さんは「人命救助」にまわり、他の自治体職員さんが「下水道管理」を行うことになるでしょう。壊れたところに、ポンプを持ってきて、仮設のホースをつないで、何とかまちの中の下水(汚水)を処理し、川や海に流すことになります。

授援力⇔受援力
かって、新潟県中越地震の際に、県は全国からの応援隊の受け入れを躊躇されたケースがありました。
例えば、先ほどの用に全国から7千人が来たら受け入れできるだろうか、判断に時間がかかることや自分たちで何とかやり切れる、と思える場合など、プライドの問題も起きて来ます。災害が大きければ大きいほど「授援力⇔受援力」の体制作りが重要となります。

Р漆紂蔑った汚水)は、川や海のそばに簡単な「水処理設備」をつくり、簡易処理して川や海に流します。
川や海の先には、漁業の方が居られるので、必ず最低限の水処理を行います。

(2)津波被災地:陸前高田の「下水処理場」は大きな被害は、免れた。ここの被災地における「下水道管理」はどうするのか。
仝従では、住民の数が少ないので「下水は流れてこない」だから、放置していいのでは、という声がありました。
津波被害の特徴は、海に近く低地の一帯は大きな被害を受けるが、離れた高台はほとんど被害が無い。津波被害の残酷な場面です。一定の高さ以下は全滅で、高い所は無傷と言う訳です。
そこで、被害の無い家庭が出す下水をどう処理するか、という問題が出てくるのです。
こういう場合は、一定の場所に簡単な水処理施設を置いて、下水を垂れ流ししないように対応します。

(3)役所における「トイレ」の所管は
ー造蓮◆屮肇ぅ譟廚砲弔い討呂匹量鮟蠅帽圓辰討癲⊇蟯匹はっきりしていないのです。「下水道」は「下水道」の仕事で、「トイレ」はもしかしたら廃棄物かな、と分からない場合がほとんどです。

△△觧堋村では、「下水道」は関係するが「トイレ」は関係ないよ・・・と、そういう先には私は「下水道」というのは「トイレ」を使うためにある施設ですから、と話しています。
例え話として、「電車の振替輸送」の話をします。
トイレは3

一般的に普通のサービスであれば電車が止まれば、その代行としてバスの運行を確保したりします。ところが、ある役所においては、代替機能を確保するとか、誰かで代替機能を確保されたことの確認を怠ってしまうことが、ややありがちだということです。

(4)では、実際に「下水管」が壊れた際に下水道管理者は、どういうことをやるか、といいますと
/紊了藩冦未鮗粛してもらう、お願をします。
釜石市の発行した住民あての通知書・・・なるべくトイレは、自宅ではなく避難所のトイレを使用してください。また、食事の際も余り水を使わない料理を考えてください。洗濯、お風呂はなるべく回数を減らしてください。・・・と生活上の制限がかかってくる、ということです。

⊇ね前に水をじゃんじゃん使われますと、マンホールから汚水が噴き出してくる可能性があります。

(5)トイレの問題については、便器からの先が大事なのです。
例え、仮設トイレであっても溜ったものをどこへ運ぶのか、運搬先の廃棄物処理施設が壊れていれば、新たに運搬先を探すとか、また、便器の先の下水管が壊れていれば流れは止まってしまいます。トイレが使えないということです。
尚、仮設トイレについては「和式が多い」「段差がある」というお話をお聞きしました。

(6)東松山市の事例「マンホールトイレ」が、たくさん用意されていました。
市長さんが、以前より災害に備えて準備されて来たということでした。
(マンホールトイレの構造)
下水管の上に、路面にいくつかの穴をあけて、そこに簡単な簡易トイレを置いてそこで用を足す。下水管に異常がなければ処理場まで運ばれます。また、段差が無いので使いやすくお年寄りの方は、避難所のトイレではなくほとんどここを使用された、ということです。

(7)下水管の復旧の面で、何を心掛けたかと言えば「復旧スピ^ド」です。
どんどん下水管を直していきますが、実は上水道の復旧の方が早いのです。そうしますと、住民の方はどうしても水道をお使いになります。炊事、洗濯、お風呂などなど。でも、下水道が修理を終わってないと水は流せません。つまり、水道が使えないということです。ということですから、常に上水道の復旧スピードを読みながら、下水道の復旧スピードをアップしています。
ある意味、ライバル意識を持ってやることが大事です。

(8)その意味からも、上水道の耐震化が進んでも下水道の耐震化がついていかないと、余り意味がありません。先ほど、頼高蕨市長がご挨拶で上水道の耐震化が進んでいると、いわれましたが下水道の耐震化を調べてみると10%未満(全国平均45%)で低い状態でした。上下水道の耐震化のバランスを取って行くことが大切だといえます。また、代行運転の例ではありませんが、これに代わる手段を持っていればいいわけです。ハードの整備はお金と時間がかかるもんだいですから・・・。

(9)二次災害の例
なぜ、起きたのか。ポンプの復旧が遅れたためにマンホールから汚水が溢れだし、まちに流出してしまった事故でした。

(10)壊す勇気
仙台市の南蒲生浄化センター(仙台市の汚水の約7割を処理する)が震災で影響を受けました。
地震の際は、ここのゲート(処理後の水を海に流す)を閉めていました。ところが影響を受けてゲートが曲がり開閉出来なくなりました。処理した汚水が海に流せなくなったのです。海に流せないと汚水が溜りいずれは、市内のマンホールから汚水が溢れだす事態となるのです。そこで、検討結果、仙台市の職員は汚水を流すルートの確保のため、あえて、ゲートを壊すことにしました。このように、普段ではやらない対応をした、ということです。
以上で、「下水道」の復旧についてのお話をおわります。

(司会)加藤さん、ありがとうございました。


※ここまで、お読み頂きありがとうございました。
 次は、パネルディスカッション(3−最終)を掲載しています。




















 

「災害時トイレどうしようin埼玉」

「災害時トイレどうしようin埼玉」

第ニ部

■講演(2−2)

「避難所運営を通して学んだ『村づくり』という方法」
講演者:伊東毅浩さん

【12】中学校が避難所に・・・運営支援に出向く
3.11の夜は、市役所の自分の机で一晩中ふるえながら過ごしました。
次の日の朝「誰か気仙沼中学校に教育委員会から2名行ってくれ」と言われたので、私は手を上げました。私と後輩が行く事になりました。中学校に着くと、市職員が7人いました。お互い見ず知らずの人たちでした。
話し合いの末、私が責任者をやることになりました。最初の夜は、避難者450名が体育館で過ごしました。

(12-1)停電の避難所・・・暖はどうしたか
体育館の窓にある暗幕カーテンを引きちぎって体にまといましたが、全然足りませんでした。そのうち、避難者が増え最終的に800名となりました。(尚、暗幕カーテンは退去時に縫って元通りにしました。)

(12-2)避難所の備蓄ビスケット・・・1人に3枚のできごと
次に行ったことは、わずかにあった備蓄用の「ビスケット」を紙の箱にあけて、私はステージにあがりハンドマイクをにぎり「皆さん、大変遅くなりました、気仙沼市役所の者です。今からビスケットをお配りします。済みませんが、お一人3枚しかありません。ご協力ください。」と言って皆さんの前に歩いて行きました。
そして、皆さんにお配りして行った時、先ほど既に取られた方が手を伸ばしてきたのです。私は、瞬間的にその方がさっきビスケットを取った方だと覚えていましたので、その方に背を向けて、そしてビスケット箱を抱きかかえました。
私は、無言で背中で「あなた、さっき取ったでしょ!あなたが2回取ることを認めたら後ろの方まで渡せないでしょ。」という態度を取りました。

(12-3)その方は・・・ビスケット1枚を返しに
そうすると、その方は「済みません、4枚取ってしまいました・」と言って1枚返しに来られたのです。
会場の皆さん、できますか。私も自信ありません。
だって、前日の午後2時46分以降、飲まず食わずの状態から、次の日の朝に配られた小さなビスケットが、握った手に3枚のところが4枚あったからと言って、返すことができますか。私は感動しました。

今回の震災で日本人は、我慢強いとか粘り強いとかいろいろ言われました。
また、逆にいろいろと犯罪もありましたが、人間は「強いなー」と思いました。

【13】毛布が足りない・・・備蓄はほんのわずか
当然800人の避難者に対しては、足りませんでした。
しかも、800人の人たちは、知り合いではなかったのです。いろんな国の人や都道府県からの人、いろんな商売の人、港町ですから船関係の人などさまざまな人たちなのです。
いわゆる、地域の組織が使えないのです。区長さんにたのむとかはできないわけです。

(13-1)寒い体育館・・・死者を出すわけにはいかない
先ず、校長先生にお願いしました。
「もう一晩、体育館で寝たら寒いから必ず誰か死にます。」と伝えたら校長先生は、最初「だめだ」と言われました。
一度教室を開放したら、帰る場所(家)が無いから学校が再開できなくなるから・・・と。

私は、校長先生に言いました「人道的に考えてください。勉強も大事だけれど『いのち』とどっちが大事ですか」と、さらに「とにかく、今晩、体育館に寝たら必ず誰か死にますよ、これ以上犠牲者を増やさないでください。」と話しました。
そうした中で、校長先生から特別教室を含め16カ所の教室の使用許可が出たのです。(幸い気仙沼中学校は、かってマンモス校で今は空き教室がけっこうあったのです。)

【14】教室に50人・・・人の体温で暖を
1教室に50人ぐらいづつ入ってもらいました。
暖房が無いので、人の体温で温める以外ないと思いました。

【15】避難所運営組織づくり
次に、組織を作りました。班長と副班長の2名を決めてもらい第一回班長会議を開催しました。

(15-1)テーマは、「毛布の確保」でした。
さっき、ビスケット配布で協力してくれた皆さんの前で、私はこう話しました。「済みません、今晩、皆さんにお配りする毛布が全然無いのです。」と言ったら、
私に向かって指をさして「行政は、何をやっているんだ!市役所は、何をやっているんだ!俺たちは被災者だぞ!それを何とかするのが市役所・行政の仕事なんだろうー!」と激しく大きな声があがりました。

私は、半分笑いながら「どんなに私をせめても、毛布は出てきませんよ」と言いました。
これに対しても「何をいうんだー」激しい声が飛び交いました。

(15-2)皆さんに・・・2つの提案をしました。
私は、次の2つのうちどちらを取られますか、と投げかけました。
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 教室に戻って、体力のある方に声をかけて、津波被害にあってない家に毛布を貰いに行きませんか、と協力をたのむ。
これに対しても、「俺たちは、昨日からビスケット3枚しか食っていないのに、毛布を探しに行けだとー」と緊迫した雰囲気でした。

(15-3)ある方の一言で・・・場の空気が変わった
「だめだー、このあんちゃんのことを責めても、毛布は出てこねぇ〜べぇ〜。」
「毛布を探しに行くべぇ〜、行くべぇ〜」と。

(15-4)毛布調達に・・・協力者が集まった
間もなくして、毛布捜索隊員が何と100人集まったのです。
私から、集まった皆さんに、地区割りし、1時間後に戻って来てもらうように頼み、探しに出てもらいました。

(15-5)避難所に・・・毛布の山が
1時間後に皆さんが戻って来ました。そして、体育館の中央に800枚の毛布の山ができたのです。
集会では、ぶーぶーと不満を言っていた人たちが、「お〜い、貰ってきたぞー」「俺、敷布団も貰って来たー」「1回で担げないから、もう一回行って来る」と、こうして毛布問題は解決しました。

【16】市役所から水の支給・・・「いのち」の水
市役所から、やっと「水」がポリ缶で届きました。私は、「済みません、一人一杯だけです。」と伝えました。
今でも、あの時の「水」の美味しさを忘れることが出来ません。忘れてはいけないと思いますし、同時に私は、その時確信しました。

【17】避難所運営・・・「村づくり」は確信へと
学校に「村をつくる」しかない!絶対、この「村づくり」はうまくいくと思いました。

教室ごとに入ってもらって「班長・副班長」を決めてもらって、「役割分担」をしてもらった。
・・・マニュアルはありません。この方法しかなかったのです。
「掃除どうしよう」「食料どうしよう」など、一つひとつを班長会議で話し合って物事を解決して行きました。

(17-1)避難所運営・・・部屋割り
一人で避難して来た人は、一人用の名簿を作りました。家族で避難して来た人は、必ず同じ部屋にしました。グループ、家族を別々にすることはしませんでした。
更に、お年寄りや、足の不自由な人は(近くの病院からの避難者もいた)1階にしました。しかし、その後、結果的にはこれが問題となりました。

(17-2)避難所運営・・・トイレ対策
電気・水道が止まり「トイレ」が問題となったのです。
1階の「水洗トイレ」が使えなくなったのです。1階から2階3階と順に使用できなくなるのです。
1階の方がトイレの際は、手助けして2階3階へと運ばなければならなくなったのです。
手配した、仮設トイレが到着するまでは対応が大変でした。

(17-3)仮設トイレ・・・到着までは
仮設トイレが何日目に到着したかは、正確に覚えていません。当時の皆さんにも聞くのですが、誰も覚えておられません。
大体、1週間か10日目ぐらいだったと思います。仮設トイレが到着するまでは、プールの水を使ってトイレに流していた。
気仙沼中学校は小高い丘にありますから、終末処理場が被害を受けていても、そこまでの配管には流れていくわけです。

(17-4)トイレ・・・ついに使用不能に
それでも、トイレは、ついに使用不能になりました。多くの場合、被難者は近くの木陰で用を足していました。
なかには、穴を掘って囲いをつくって用を足す場にした所もありました。
いずれにしても、皆さんトイレは難儀されました。

【18】教室は避難所として・・・10月ごろまで続いた
気仙沼中学校は、9月〜10月まで避難所として使っていました。写真のトイレ(工事用のレンタルトイレ)は、ほんとうに助かりました。食べるのは、我慢できても「トイレ」は我慢できませんから。
その後、校庭に「仮設住宅」ができたので、トイレ問題は解決しました。

【19】暗幕カーテン・・・縫って直しました
初日の夜に、引きちぎった暗幕カーテンを退所時に自分たちで縫って元通りに直しました。

【20】避難所運営・・・テントがプライバシーを守る
テントつくりに
全国から、たくさんの支援を頂いて助かりました。
これは、テントです。体育館でプライバシーを守る上で大変役立ちました。
人前でおむつの交換や、着替えなどさまざまな面で助かりました。

【21】避難所運営・・・備蓄品を見直そう
その後、1週間たってから市役所から戻るように連絡が入りました。
市役所に戻ったある日、隣の課にいる若い女の子から「伊東先生、済みません気仙沼中学に生理用品がまだありましたか。」「市役所には、もうほとんど無いのです。」と悲痛な顔で話して来ました。
ちょうど避難所には、数日前に支援物資が届きその中には生理用品もあったので、まだ有ると思うよ、と伝えておきました。
私は、その時思ったのです。若い女の子が、年配のおじさんに生理用品がいる、という話をするのにどれだけ勇気がいっただろう、と。そして、先程のおむつにしてもそういった関係の備蓄は、数が少ないのです。無いに等しい状況です。

【22】避難所運営・・・1日も早く学校本来の姿に
避難所となった学校は、体育館にテントが、校庭には仮設住宅がありますので、体育は廊下で行っているのです。
未だに多くの学校には、仮設住宅があります。

(22-1)避難所運営・・・ペットの扱いは
避難者名簿を作る際に、ペットを飼っておられる方は申し出てもらい、併せて、ペットと同じ部屋でもいい人の名簿も作りました。この判断が、正しかったかどうかは、私にはわかりませんがあの状況下で、ペットは外に出してください、とは言えませんでした。

(22-2)県の保健所から・・・ペットの扱いについて
そのうち、3〜4日経って県の保健所の人が3人来られました。県の人は直接避難者のいる教室に行きました。状況を見た後に体育館にいた我々に次のように話しました。
「教室を見させていただいたら、ペットと一緒ですね。被難者の方に私がこう言っておきました・・・これは認めるわけにはいきませんので、家族同然でしょうが、ペットは外においてください。」と。

(22-3)ペットの飼い主の心情と・・・周りの避難者への配慮
私は、県の人も仕事でやっておられる事だから、とじっと黙って聞いておりました。
話も終わって、帰ろうとした県の人(ペットのことを話された方)が「私は、もう二度とここには来ないと思いますからね」と言い残して帰られました。私は、おしゃれな方もおられるのだな、と思いました。

そして、私は、教室に上がって行きました。
ペットと一緒にいた被難者は、私に何か言われるかと緊張した面持ちでふるえていました。私は、県の人が言われた通りのことを話しました。それを聞いて皆さんは泣いて「よかったー」と安堵していました。

(22-4)ペットの扱いは・・・避難所の大きな問題
そこで、私は、皆さんに話しました。
ペットの夜の鳴き声、糞尿の臭いなどで最初は一緒でもいいよ、と言われた方も3日4日と続くとやはりだめだ、耐えられないと言われる方が出て来ました。ということで、そのへんのこともよく考えてください、と。
いずれにしてもこのことは、避難所においては大きな問題でした。

【23】震災を忘れないでください!
私からのお願いです。
震災をとにかく、忘れないでください。頭の中だけで「防災教育だ」「トイレだ」「備蓄だ」「何が必要だ」と、分かっているのではなく、思いとして「そうだよ、じゃ我が家に何があるの」皆さんの家に今、何がありますか。

ほんとうに、自分の問題として考えて欲しい。だから忘れないで欲しいし、祈ってほしい。東日本大震災だけじゃない、阪神・淡路大震災も、JR福知山線脱線事故も、たくさんの方が犠牲になっています。志半ばで逝ってしまった人たちのことを思って、忘れないで欲しい、祈って欲しい、感謝して欲しい。

【24】生きること・・・そして、まわりの人を大切に
私も皆さんも今、生きていますね。ですから、我々はまだ命があるから、感謝して欲しい。そして、自分は何をやるのか考えて欲しい。私は、小学校1年生の子ども達にも、中学生にも、高校生にも、言います。
君たちが生まれて来た意味が必ずあるはずだ、だから、行動して欲しい、生きて欲しい、「生きる」ということは、自分と周りの人を大切にすることだと思うよ、と言います。

【25】名前には・・・親の願いが込められている
私は、多くの子ども達にいうのです。今日、ここに自分の名前を自慢しに来たのではないよ。皆にも名前があるだろう。自分の名前の意味がわかるか。時間がないので省略しますが、私も夫婦の願いを込めて子どもの名前をつけました。だから、君たちにもちゃんと願いを込められて生まれた命だから、絶対自分の命を粗末にしてはだめだよ。
友達の命を粗末にしてはだめだよ、という話を伝えます。

【26】「ありがとう」の詩   菊田 心
最後に、気仙沼市立面瀬小学校5年生(当時)が書いた詩を紹介して終りとします。
この詩は、震災の半年後に私の教え子のお子さん、菊田 心(きくた しん)君が書いたものです。
ご家族のご了解も得ております。

ありがとう     菊田 心

文房具ありがとう
えんぴつ、分度き、コンパス大切にします。

花のなえありがとう
お母さんとはちに植えました。
花が咲くのがたのしみです。

うちわありがとう
あつい時うちわであおいでいます。

くつをありがとう
サッカーの時とってもけりやすくて
いっしょうけんめい走っています。

クッキーありがとう
家でおいしく食べました。

さんこう書ありがとう
勉強これからがんばります。

図書カードありがとう
本をたくさん買いました。

やきそば作ってくれてありがとう
おいしくいっぱい食べました。

教室にせん風機ありがとう
これで勉強はかどります。

応えんの言葉ありがとう
心が元気になりました。

最後に
おじいちゃんを見つけてくれてありがとう
さようならすることができました。

心君のおじちゃんは、震災の半年後に見つかりました。もちろん、亡くなっていました。でも心君は、「ありがとう」と言っています。さようならができた・・・。
被災地では、未だに行方不明の方がたくさんおられます。

「さようなら」も言えないのです。心君の「ありがとう」の言葉には、そうした方々の思いも込められていると思っています。

(終りにあたって)
今日この場で、私一人だけが3.11の被災者だとは思っておりません。会場の皆さんにも3.11がおありだと思います。
皆さんもいろいろとご苦労されたと思っています。ですから、私は全ての方が津波が来た来ないではなく被災者であり、皆が支援者であると思っています。
ぜひ、ご自分を大切に、そして皆を大切にしてください。
これで、終りといたします。ありがとうございました。

※ここまで、お読み頂きありがとうございました。(3部構成第ニ部終り)
 次は、(3部構成第三部)パネルディスカッション(3−1)を掲載しています。





























































 

「災害時トイレどうしようin埼玉」(第ニ部)

「災害時トイレどうしようin埼玉」(第ニ部)

■講演(2−1)

「避難所運営を通して学んだ『村づくり』という方法」
講演者:伊東毅浩さん(東日本大震災では、避難所の責任者として800人の避難者の命を守られた。)
修正伊東
(概要)
次の内容を講演(2−1)と(2−2)に分けて掲載しています。
講演内容(2−1):なぜ、防災教育が必要か」「学校中心の防災教育」「12分のズレ」「私には使命がある」「あの日、津波警報を・・・」「津波火災」「津波襲来・・・別れた対応」「難しい・・・震災遺構」「津波の夜・・・屋根の上で」「伊東家の3.11」など。

講演内容(2−2):「中学校が避難所に」「寒い・・・毛布がない」「村づくり」「ついに、トイレが使えない」「プライバシーを守るテント」「備蓄品の見直しを」「ペットの扱い」「生きること」「ありがとうの詩」など。

私は、機会ある毎に震災を通して感じた「あの日、何が起きたのか」を伝え、そして「いのち」の大切さを伝えて行きたい。 これは、心からの願いです。

(現在の勤務地)
中学校は、日本三景の松島湾の浦戸諸島に位置し、有人の島は4つあります。浦戸第二小学校と浦戸中学校があります。生徒は合わせて34名です。
34名のうち島の子どもは7名で、27名は陸から31分かけて船で通学しています。わざわざ島の学校に行きたい、とそれだけ島の学校に魅力があるのです。
 仮設桟橋かさ上げ工事中
さんばし
東日本大震災で地盤は1m沈下しました。現在でも仮設桟橋の海側は満潮で波に洗われています。仮設住宅は、まだ建設中です。こうした光景を3年半も見続けていますから、我々はマヒしています。
全国から被災地支援の手が差し伸べられていますが、なにせ広範囲の復旧工事だけになかなか間に合わないのです。

【1】なぜ、防災教育が必要か
突然ですが、「なぜ、防災教育が必要なんでしょうか?」皆さん、如何ですか。

2004年12月の「インド洋大津波」でインドネシアのスマトラ島バンダ・アチェは地形が変形するほどの甚大な被害を受けました。それが、7年経ってどうなったかを見たかったのでJIKAに参加しました。

(1-1)地震のあとに津波が・・・多くの人が知らなかった。
大勢の死傷者(生徒を含めて)を出した要因に、「防災教育」が無かったことが上げられています。
地震のあとに「津波」が来ることを知らない人が多かった、ということです。避難訓練もされてなかったのです。
「インド洋大津波」を経験してからは、防災教育、避難訓練などもやり始め、町には「津波避難ビル」も建設されています。
但し、家からその避難ビル(3〜4階建て)までに時間がかかる人がいる。そういう面では、対策としてはまだ十分とは言えない状況でした。

(1-2)防災の取り組みは・・・ハードとソフトで
ハードの不足は、防災教育のソフトでカバーして「減災」の取り組みを進めなければならないのです。東日本の被災地においても同じことが言えます。

私は、気仙沼市で生まれ育ちました。大震災の時もここに住んでいました。今は、単身赴任で離島に住んでいます。毎日船で通っています。気仙沼市は、過去に「明治三陸地震」「昭和三陸地震」「チリ地震津波」・・・何度も津波被害に合いました。
親から聞かされた「津波」の話は、子どもの自分にとっては昔の出来ごと、としか受け止められなかった。
その後、気仙沼市も含めて海沿いのまちは「防災」の取り組みを進めて来ました。

【2】学校を中心とした防災教育
一生懸命に行政が防災に取り組んでも、若い人がなかなか参加しません。そこで考えたのが「学校」を中心とした「防災教育」を行わなければだめだと、方針を決めたのです。
学校を
気仙沼は、学校を中心とした防災教育に「ESD(持続発展教育としてユネスコが提唱)」に取り組み推進している。
なかでも、階上中学(はしかみちゅうがく)は、「自助」「共助」「公助」について1年目「自助」、2年目「自助・共助」、3年目「自助・公助」と3年サイクルで学べるようにしました。

「津波防災教育の取り組み例:実践型避難所運営訓練」
津波教育で
さらに、「知る」(正しい知識・技能を身につける)、「備える」(正しい知識をもとに日頃から準備する)、「行動する」(頭だけの理解ではなく、行動へと結び付ける)といった視点も取り入れている。
2014年2月に防災チャレンジプラン「防災教育大賞」を受賞した。

中学校を卒業した生徒たちは、高校や職場において防災リーダーの立場で活躍しています。
この度の大震災においても、彼らはいち早く避難行動をとったことで、周りの大人を含めて多くの人が避難し助かっています。
防災教育は、子どもの時から行うことが重要です。

【3】地震発生・・・私は、どこにいたか
地震発生時間(午後2時46分)。その日私は、公務を終え教育委員会(2階)がある市役所ビルに車で戻って来ました。たまたま屋上の駐車場に車を止めました。(他に数台が駐車していました。)

事務室に入り、イスに腰かけたとたん、地震の揺れが来たのです。
もしも、12分時計がズレていたら、今日、こうして会場の皆様とお会いすることはできなかったと思います。
私が、12分前に車で走っていた道路は、地震で信号が止まり車が渋滞し動きません。そこに、「津波」が来て車は海に引きずり込んでいきました。運よく陸上に残った車は、見つかってもシートベルトをしたままのご遺体の姿でした。
だから、私は12分ズレていたら、ここにはいない、と言う事です。

【4】北海道の森町でのできごと・・・私には、使命がある
北海道の森町(函館のとなり)で、同じような講演をした際に、終わったあとでお寺のある男性の方が「伊東さん、さっき震災のできごとを自分の意思で話している」と言われたが、それは違うよ。「伊東さん、随分連れて来たね」と言われました。その方には、霊が見えるそうです。言われた私には、霊は見えませんから、わかりません。
でも、そう言われた時に不思議と「怖い」とも「何とも」思いませんでした。そして、私は、自分の病気の話もしました。
私は、肺がん手術で右側の肺が半分しかありません、と。

すると、その方は「大丈夫、死なないから」と言われたのです。
ちゃんと、その霊が守るから。伊東さんは「今回の震災で亡くなった方々が、自分たちで伝えられないので、伊東さんの体をつかって全国の皆さんに伝えているのです。その亡くなった方々に担がれてこの場に来ているのですよ、と話してくれました。
そう聞かされて、私は、元気をもらったような気になりました。

【5】私は、いつも本気です。
私は、今回の震災でたくさんの友達や生徒たちを失くしました。
彼らがここにいると思うと、私は常に試験を受けているような感覚になるのです。私が、ここで適当なことを話していると「何言ってるんですか、それちがうじゃん」「都合のいいこと言うな」と、しかられます。だから、私は、毎回本気です。

【6】あの日、津波警報を・・・信じていませんでした。
市役所前の駐車場(大津波警報直後、津波到達前)
前市役所
震災当日も市役所館内で「只今、大津波警報が発令されました。」と放送された。
聞いていた我々は「どうせ、たいした事はない」と不謹慎なことを言っていました。

【7】津波火災・・・気仙沼湾は火の海に
気仙沼の漁港には、漁船用はじめたくさんの燃料タンク(ドラム缶13万本分)がありました。それが、津波で流されて、漏れ出たその油が木材等可燃物に付着し、火がつき火災が広がったのです。
当時テレビで放映された気仙沼湾の津波火災だったのです。湾は火の海となりました。
青空駐車場の車は、みんな津波に流されました。流されずに残った屋上の私の車は、その後、公用車として使われました。

(7-1)津波の中におじいさんが・・・でも助けられない
津波で流されている光景の中に、おじいさんが取り残されていました。水の高さは、膝上でした。救助に行けたら行きたいのですが危なくて行けません。
我々は、屋上から「おじいさん、がんばれー」と叫ぶだけです。やがて、水はおじいさんの首まで来ました。
目の前で、人が流されるのを見たくない。でも、目をそむけることもできない。

(7-2)流れて来た小屋に・・・手をかけたおじいさんは
その時、左側から小屋(気仙沼には、あちこちにゴミを集めて置く小屋があったのです。)が流れてきたのです。「お〜い、おじいさ〜ん、小屋が流れてきたぞ〜」と皆で叫んだらどうやら届いたようでした。
おじいさんは、首まで水につかりながらも、その小屋めがけて飛び乗ったのです。それを見ていた我々は、思わず「わー!」と歓声を上げました。
まさに、火事場の馬鹿力です。その後、おじいさんの無事が確認され、安堵したものです。

【8】気仙沼(?)高校に津波襲来・・・その時住民は
階上中学校の近くにある高校での出来事です。
その時に、地域住民の対応は2つに分かれたのです。
昔から、何度かあった津波でここまでは来てない、と地域の人は分かっていたので逃げなかったのです。そこには、目じるしに「木」が植えてあったり、「石標」が立ててあったりした。
高校生たちは、高台を目指して逃げたのです。
津波襲来の結果、逃げなかった住民の方たちは犠牲になりました。

(教訓)
50年や100年の過去の経験があだになったのです。
今回の津波は、1000年に一度の大津波だったからです。

【9】震災遺構・・・撤去か保存か
気仙沼鹿折に打ち上げられた第18共徳丸(平成25年10月に撤去された。)
私は、残してほしかった。
広島の原爆ドームのように、未来の子どもたちのために残してほしかったのです。
この船がなくなってからは、この地に立ち止まる人はいなくなりました。
何だか、忘れ去られているようで怖い、と地元のある女性が話していました。

(教訓)
震災遺構を残す事の難しさを感じています。未来の子どもたちに何が残せるのか、私は不安を感じています。
阪神・淡路大震災の爪後として、神戸港の震災メモリアルパークがありますが、あの大震災の惨状を思い出すには、いまいちピンと来ませんでした。
尚、震災記念としては、「人と防災未来センター」(神戸市中央区脇浜)があります。

【10】被災者を襲う寒さ・・・屋根の上で凍死
あの日は雪が降り、屋根に逃げた人は一晩中屋根の上で津波に怯え、寒さに耐えたのです。(不幸にしてたくさんの人が凍死されました。ニュースには、余り出ていませんでした。)

【11】伊東家の3.11・・・家族の行動
私の家族の話を少しさせて頂きます。私の自宅には、私の両親と妻と息子(名前は、そら)の5人+(はてな)です。(はてな)については、後でお話いたします。
私は、結婚も遅く子どもができたのも遅かったので、震災当時4才でした。
いつも、3時に幼稚園のバスで帰宅します。地震は2時46分です。

(11-1)幼稚園のバスは・・・
地震は2時46分。3時のバスは、来るわけありません。私の家は、高台にあるので津波は絶対来ません。でも、家の中はぐちゃぐちゃです。
家具などいろんなものが倒れ、壊れて両親はそれを片付けようとして手を切りました。妻は「おじいちゃん、おばあちゃん、近くの集会場に避難してください。」と伝えて幼稚園に「そら」を迎えに行きました。

(11-2)大津波警報を知らなかった妻が・・・幼稚園で見たものは
後で聞いたことですが、妻は「大津波警報」が出ていることを知らなかったのです。
そして、幼稚園に到着します。幼稚園は無人で誰もいません。そこで妻はあり得ない光景を見ます。
何でここは、濡れているの。何でここに、浮きとかロープとかがあるの・・・。(津波の第一波が来て、水が引いた後に妻が来たのでした。)だから、妻は無事だったのです。

(11-3)ルートの選択が・・・運命を分けたのか
でも、近所でうちの息子より一つ年下の友達の母親が同じ行動をして妻と違うルートを通って津波とぶつかり行方不明となりました。車は見つかりました。残されたお子さんが家族に聞くそうです「ねえ、ママはいつ帰って来るの」と。
私は、その話を聞くたびに、もしかしたら私の息子が「ママ、いつ帰って来るの」と聞くかも知れないのです。だから、人ごとではないのです。

(11-4)家族の安否確認・・・災害時、最も気づかうこと
あの日の夕方、奇跡的に携帯電話が繋がり(妻と1回だけ繋がりました。)
私には、この電話で十分でした。「そらも、おじいちゃん、おばあちゃんも無事、今、集会所で波にのまれた近所のおばちゃんの介護をしている。」と。
私は、家族全員が無事だということがわかったので、安心しました。そこで、私は市役所の職員として自分ができることをやるぞ、と決意しました。

※ここまで、お読み頂きありがとうございました。
 次は、(2−2)に掲載しています。















 

「災害時トイレどうしようin埼玉」

「災害時トイレどうしようin埼玉」

第一部

■講演(1−2)

「『市民防災力』を高めるための情報伝達力、コミュニケーション力、想像力」
講演者:秋冨慎司さん

【8】災害現場・・・それぞれの機関の縦と横の連携について
(8-1)災害現場(多機関の情報網と連携)
災害現場
■東日本大震災の前から県庁で、訓練していましたが現場でも、現場指揮所レベルでも、どんなレベルでも、消防、警察、自衛隊などの行政機関は、縦の組織はしっかりしていても、横の連携・調整は不十分なのです。
よって、縦と横の情報網を作ってください、と要請しています。

そうすると、消防の方から「俺たちはできる」という人が多かったのですが、あなた達、消防は救助のプロでしょ。かと言って警察のように、治安維持、交通整理のプロはいませんよね。自衛隊のように、人海戦術、重機を使える人もいませんし、また、行政の人を関係ない、と言ったら復旧・復興は遅れますし、かと言って皆さん「医療」のことを知っていますか、となると知りませんよね。
それぞれのプロフェッショナルを活かすためには、それぞれが連携しなければ対応できないのです。

(8-2)自助・共助・ボランティア
■ほんとうに困っている人を公的機関が支援するためには、私は、今、備蓄法を制定してほしいと訴えています。
首都直下地震や南海トラフ地震が起こったら1週間以上「もの」は来ないと思ってください。
私は、岩手に入ってわかったことですが、1週間目で救急車よりも燃料の「ガソリン」が無くなったことです。もちろん、食べ物も何もありません。

「かわいそうだ」というのですが、東京でもそうでしたが、被災地でない所で物資の買いだめ・買占めが起こり、被災地では多くのものが品切れ、となっていたのです。ものが来るまでは、自分たちで耐えなくてはならない期間があります。
お互いに協力する以外ありません。
県庁の緊急事態対応システムは、ICS(インシデント コマンド システム)と言います。いろいろと、このシステム運用の準備段階にあたっていたところに、東日本大震災が起こってしまいました。

■これは、公表されていませんが、東日本大震災の発災直後に捜索で青森の自衛隊からヘリ3機を飛ばしました。が天候が悪く不時着しました。また、消防のヘリも引き返しました。そうした中で警察のヘリだけがたまたま雲の合間から津波襲来の様子を撮影することができたのです。

既に、町は消えてなくなっていました。
災害対策本部の皆さんは、最初はテレビニュースで津波被害状況を見て本部から各地に電話連絡しようとしますが繋がりません。みんな泣きながら沿岸部に向け「逃げろー、逃げろー!」と叫び続けました。結果は、どこも繋がりませんでした。
こういった状況の中で夜を迎えました。

高田松原(約7万本)は、あっと言う間に町ごと津波に呑みこまれました。
津波被災地では、助けを求めていることは、わかっていましたが現状ではなかなか救出には行けませんでした。

(8-3)津波火災・・・地獄の中で救出は
■津波火災も起こり始め、公民館に火が迫っていましたので消火活動をしなければならないのですが、道路からは行けないのでヘリを飛ばすしかないのです。(首都直下地震でも、被害想定を超えてものすごい火災が発生すると思われます。)こうした地獄の中で、どうやって公民館まで行くか、と言う事です。
助けを求めているのがわかっていても、助けに行けない難しさが起こります。

(8-4)DIS情報は・・・津波被害が計算されてないシステムだったのです。
■当時、県の災害対策本部からは、岩手は死者が100人未満だから救助隊はいらないだろう、言われました。
私は、「なぜですか」と聞きましたところ、内閣府のDIS(ディザスター インフォメーション システム:地震防災情報システム)の情報で「岩手は100人未満と出ている」から、ということでした。

この時、内閣府のDISは「地震の揺れ」だけが計測され、「津波」の被害が計算されてなかったのです。
毎日新聞の情報公開請求で実態がわかった。
毎日新聞
(毎日新聞 2013年 10月 02日  15時00分 (最終更新  10月 02日 15時09分)

(教訓)
■地震の揺れだけの計測で100人未満、ということが書いてあるのに「岩手は100人未満だから」という情報だけが流れていたのです。
情報戦のミスです。情報の信頼度を考えずにそういうミスをしてしまった、ということです。
結果として、初動体制に遅れが出た原因となった。

(8-5)確かな情報の把握のために
「各避難所評価基準」チェックシート
避難所チェックシート
〜竿鯑饅蠅糧鏈匱圓寮験莨況をこのチェックシートをもとに調査し、支援に役立てました。
⊂霾鵑無いのが情報だ、ということ。
情報は、待つのではなく取りに行くものだ、ということ。

【9】ボランティアの組織化ができなかった。
■大勢のボランティアの中には、犯罪を起こす者も含まれており犯罪が多発した。このことで、簡単には組織化はできなかった。

【10】医療も偽医者事件が起こった。
■このことがあって、認定した医療チームだけ活動させた。

【11】避難所では、やることがたくさんあります。
「避難所・組織図(統括リーダーのもとに副リーダーは3人」
避難所組織図

■避難所生活における安全・安心をどう確保するか「自助」「共助」「公助」の連携をしっかり実行することが重要です。
ペットの扱いをどうするの、炊き出し役を誰がやるの、トイレどうするの、健康管理をどうするの、お金の管理をどうするの、駐車場管理をどうするの、夜間の見回りをどうするの・・・などなど。

簡単に言いますと、やるべき事柄を書き出し、それに担当チームを配置し、各班長を決めて、ローテーションでまわしていく、
ということです。
初めて任務に就く班長もおられるでしょうから、任務内容を書いた紙を作り渡す。班長会議で物事を決めます。

【12】中越沖地震の避難所での体験
(12-1)ほんとうに、困っている人は「助けて」の声をあげられないのです。
(事例ー14)夜間、ある避難所に出向いたところ、ここには開業医が来たのであなたはいらないよ、といわれた。
私は、一応避難所内を見てまわったところ、奥の方に障害をもった子連れの母子が泣いていた。子どもが夜不安で大きな声を出して騒ぐので、お母さんが泣きながら子どもの口を押さえていた。子どもは、口をゲボゲボいわせ涙を流していたし、熱のある顔をしていた。体温計で測ると熱は40度もあった。

(教訓)
■ほんとうに、困っている人は声すら出せないでいる、ということです。だから、そういうような人がいないか、探さなくてはいけないのです。この点では、後悔しています。
※CWAP(シーワップ):災害弱者とは
 C:children(子ども) W:women(女性) A:aged peoole(高齢者) P:pregnancy、passenger、people(妊婦、旅行者、貧困者)

【13】災害対応は時間軸でとらえる事が重要です。
    10のn乗
10のN乗
■時間軸で現状を踏まえ、その上で次の時間軸への対応を準備して行くことが大事なことです。
“災後、1時間以内に、先ず自分の身の安全を守る。家族の安全を守る。周りの人の安否確認をする。
■隠飴間以内に、救助・救援の準備をしながら情報を集め対応策を立てる。
100時間以内に、「命」の時間です。人命救助をします。
ぃ隠娃娃飴間以内に、「復旧」のための活動をします。
ィ隠娃娃娃飴間以内に、「復興」のための活動をします。

【14】県と市町村との情報伝達の在り方
■県と市町村との情報伝達(1)
県災害対策本部⇔市町村災害対策本部・・・密なる連携を。
■県と市町村との情報伝達(2)
授援力⇔受援力
物資を送る際には、物によってはマネジメントできる人も一緒におくる。
現場が使いやすいようにしておくる(授援力)
授援力受援力

【15】自助(7)・共助(2)・公助(1)
■災害対応には、自助を基本にして「共助」「公助」が成り立ちます。地域防災・防犯計画を立てる。
災害は、競争でなく、協力、全ては「被災者」のために!

【16】被災地では、犯罪が多発します。
■不審な人、犯罪者(泥棒、性犯罪)、新興宗教勧誘などが発生します。
ボランティアは身元の確認の上、受け入れることです。

被災地の犯罪に対しては、国、行政、マスコミ、などはこういった面のフォローがない。企業もなかなか協力してくれない。
私は、身銭を切って「防犯ブザー」をつくり、配布してまわりました。
ユニセフが協力してくれたお陰で、国、行政、マスコミ、企業などが協力してくれるようになりました。

【17】自分が守れなかったら・・・大切な、親・子・孫は誰が守ってくれますか。
■災害になると、警察も、行政も、消防も、あらゆる機関が救助活動に目いっぱいになり、多くの事が手薄になります。
「自助」「共助」「公助」と言いますが、とかく、自分たちが生きながらえることを主眼においており、「公助」が機能しなかったら親や子や孫たちを誰が、どう守ってくれるのでしょうか。

もしも、自分たちが死んでしまって、親や子や孫たちがそう言った犯罪(性犯罪など)に巻き込まれたら、ほんとうにいやだと思います。
そうならないためにも、避難所運営も含めて「自助」「共助」「公助」の連携をしっかり行っていく必要があります。
また、そうした面からも災害に対する準備を進めなければなりません。

【18】避難所生活・・・プライバシーを守る手立てを
(例)避難所で、高齢者で介護が必要な方でおむつをされている場合に、人前でおむつ交換する姿を見られたら本人はどんなに辛いことか。人間の自尊心が傷つけられます。

■これまでは、支援と言えば「食べる」ことの支援を一生懸命してきましたが、これからは、「出す=トイレ」支援ということをして行きたいと思っています。
公衆衛生上からも「感染症」の予防になります。
見えない支援というものを、この機会にもう一度洗い出して蕨市から全国へ発信していただけたら大変ありがたいことです。

【19】クラッシュ症候群・・・救出の難しさ
■圧迫されている重傷者を急に助けだすと、命を失う危険があるので医療関係者に立ちあってもらうことです。
 クラッシュ症候群の動画の紹介があった。(中国四川大地震の現場)

【20】埼玉県の課題・・・東京からの大勢の被災者をどう受け入れますか。
■次に起こるであろう西日本大震災「首都直下地震」では、自分たちも被災しているにもかかわらず、東京都から10〜20万人という大勢の被災者が蕨市や隣接市町村に入ってきます。
各避難所にも入ってきます。ぜひ、皆さん受け入れて欲しいのです。そして、避難所運営にあたるということを自覚してください。先ずは、地元住民の方がほんとうに大変なことだ、ということを覚悟してもらいたいのです。

東日本大震災で、既にいろんな出来事が起こっていたことを知って頂いて、そして、ここに来られている関係者の皆様方と共に、蕨市、埼玉県、日本を守る上からも今日の成果を、ぜひ、全国に発信して頂けたらほんとに良い日本ができると思います。
長時間ご清聴ありがとうございました。

※ここまでお読みいただき、ありがとうございました。(3部構成第一部終り)
 次は、(3部構成第ニ部)で伊東毅浩さんの講演(2−1)を掲載しています。

























 

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